自主学習

自主学習ネタ/江戸時代の徳川の歴史

徳川といえば、歴史の教科書を代表する有名人!
そんな江戸の徳川の時代とはどんな歴史だったのでしょうか。

そこで今回は、自主学習ネタとして、江戸時代の徳川の歴史を紹介します。

江戸時代の徳川の歴史始まり

江戸時代の徳川の歴史は、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いたのが始まりです。

徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉に続いて天下を統一し江戸幕府の初代将軍となりました。

そこから政治の中心が江戸となり、徳川将軍家は1603年〜1867年の264年間ものあいだ日本の頂点に君臨し続けたのです。

そんな江戸時代の徳川の歴史は世界的に見ても珍しく、長期的に戦のない平和な時代だったと言われています。

江戸時代の徳川の歴史が長く続いたわけ

264年間という長い間、江戸幕府が続いたのは、幕藩体制(ばくはんたいせい)によって全国の大名を監視管理した事と鎖国によって外国からの干渉を受けないようにしたからです。

幕藩体制とは、徳川将軍家をトップに全国の大名が徳川の命令に従いながら、領地とそこに住む農民町民を統治する体制のことです。

この幕藩体制によって、徳川は様々なルールを作り全国の大名を管理しました。

例えば、大名が勝手に城を建てたり、結婚したりする事を禁止しました。
これは大名家が徳川の知らないところで手を結び力を付けないようにするためです。

全国の大名が江戸と領地に1年交代で住む事を義務付けた参勤交代も有名ですね。
これには、大名に財力を付けさせないようにする、人質をとって謀反を防ぐという目的があったそうです。

幕藩体制によって一大名に力を集中させないようにしていたんですね。

また鎖国によって外国が日本の政治に干渉してこないようにもしました。

しかし江戸幕府は外国との付き合いを一切していなかったわけではありません。
他の大名には貿易をさせないようにしていましたが、江戸幕府だけはオランダや清国と貿易をしていたのです。
大名が外国と勝手な事をしないよう貿易をさせなかったのと同時に、貿易の利益を独り占めして財力を蓄えていたのです。

また町民や農民も身分制度によって反乱を起こさないよう統治されていましたが、そんな身分制度がキリスト教の教えによって脅かされないようにするためにも鎖国は行われました。

このように聞くと江戸時代の徳川の歴史は恐怖政治の時代だったと感じるかもしれません。

しかし大名も領土をきちんと与えられ政治体制はしっかり整っていました。
農民も徳川から無茶苦茶な税収をされることなく餓死する人も以前と比べて減ったのです。

徳川の江戸幕府は大名や農民らを管理して従わせましたが、その管理や政治体制は整っていたため戦国のような戦はありませんでした。
バランスのとれた安定した政治体制だったため、江戸時代の徳川の歴史は長く平和に続いたのです。

江戸時代の徳川の歴史終わり

江戸時代の徳川の歴史は、1867年に15代将軍である徳川慶喜が朝廷に政権の返上するまで続きました。
江戸幕府は農民からの不満とペリー率いる黒船の来航がきっかけとなり、長州・薩摩によって終わりを迎えたのです。

江戸幕府は農業から商業への経済の転換に上手く対応ができませんでした。
江戸幕府は農業中心の年貢の徴収による体制をとっていましたが、時代は徐々に商業が中心の貨幣経済へと変わっていったのです。

すると農民は、年貢は納めないといけないのに金銭に余裕がないという貧困状態になり、どんどん不満がつのっていきました。

そして、国内の経済が行き詰まっている時にペリーが開国を求め来航してきます。
幕府はペリー等アメリカからの開国要請に、1年後に返事をするとしましたが、1年間何の対策も立ていませんでした。
そして日米和親条約や日米修好通商条約など日本に不利な条約を結んでしまったのです。
そのせいで国内の経済は混乱し、幕府は財政難となってしまいます。

このように国内の経済が行き詰まったうえ、外国との不利な条約締結によってさらに経済は混乱しました。
そして諸外国からの干渉を排除しようと長州・薩摩が立ち上がったことで江戸幕府は終わりを迎えたのです。

自主学習ネタ/江戸時代の徳川の歴史まとめ

自主学習ネタとして江戸時代の徳川の歴史をまとめました。

・1603年〜1867年の264年間も江戸徳川の歴史は続いた

・江戸幕府が続いた理由①幕藩体制によって徳川以外の大名に力が集中しないようにした

・江戸幕府が続いた理由②鎖国によって国外からの日本の政治への干渉を防いだ

・国内の経済の行き詰まりと外国との不利な条約締結により、幕府への不信感を募らせた長州薩摩によって江戸幕府は終わりを迎えた

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA